死刑判決のあり方について考える。

時間ができたので、死刑判決のあり方について考えていきたいと思います。まず、疑問に思った5つの判決から、問題提起していければと思います。

①秋田連続児童殺害事件。 畠山鈴香さんが自分の子と知り合いの子を殺害した事件ですね。判決は、無期懲役が下されました。まず前提として、死刑を下す基準に、永山基準というのがあります。 犯行の動機、社会的影響、遺族の被害感情、結果の重大性(特に被害者の数)等で総合的に判断するとされています。この事件は、犯行の動機は身勝手なもので、最初犯行を否定していたこともあり、遺族の被害感情は相当なものであると思います。のちに死刑宣告された光市殺害事件等と変わらないと思います。このことから、永山基準は形骸化されていると思います。

②千葉小3女児殺害事件

千葉松戸市で起こった誘拐後殺害した事件。この事件でも遺族の被害感情、結果の重大性(特に被害者の数)で無期懲役が下されましたが、後の山田浩二さんの事件では、死刑判決が下されています。そんなに人数にこだわるべきでしょうか。新潟の小針の事件のリーディングケースになってしまった感じがします。

③光市殺害事件。こちらでは、事件の重大性に言及して、2人の死亡に重きをおいていません。前記の①②の事件と重大性は変わらないのではないでしょうか。

④新潟小2女児殺害事件。誘拐後線路に遺棄するという残忍な事件です。遺族の被害感情は相当なものですし、③の事件と重大性は変わらないのではないでしょうか。

⑤熊谷連続殺害事件。ペルー人の男が民家に押し入り、立てこもり無関係の人物を死亡させた事件。この事件は、①②③④の事件と比べて犯行の動機、社会的影響、遺族の被害感情、結果の重大性(特に被害者の数)を示しても、無期懲役で済むような事件ではないです。

オウム以降死刑判決を下すことに躊躇している感じがします。国際機関からの忠告等も影響していると感じます。そのような外部からの圧力に屈することが日本の司法であるならば、おかしい世の中になったと感じるのは私だけではないでしょう。

まあ、こんな感じでまとめてみました。いろいろ意見はあると思いますが、自分なりの見解はこんな感じですね。