聖光の歴史④

引き続き書いていきます。震災後からですね。震災後一旦チームを解散し、自宅に返したそうです。グラウンドは、表土を削りとり、ゼオライトを撒くなど放射能低減の対策を行ったようです。当時は、まだ室内練習場もなかったので、練習も、屋外で行うしかなくこの当時は、制限させていたので大変だったと思います。

 対外試合もほぼ遠征で、行うので、肉体的疲労も相当なものだったと思います。

夏は、東日本大震災の影響で、第4シード制で行われました。第1シードが聖光、第2シードが学福、第3シードが日大東北、第4シードが、原町でした。

聖光学院は、エースの歳内、2番手の芳賀という左右の両エースがほぼ投げる投手の充実度で福島県大会を危なげなく勝ち上がりました。日大東北は、軟投派の佐藤駿と森を交互に先発させていましたが、準々決勝の小高工で、佐藤駿を先発させ、リリーフで森を登板させたが、もし最初から、森が投げていればと悔やまれる試合だったと思います。須賀川は、須藤という好投手が主戦で投げ続け準優勝という成績でした。

 甲子園大会では、1回戦日南学園古市投手の球の出どころが見にくいフォームに苦戦します。去年から主力の3番遠藤雅は、力んでいる印象でした。5回の守備時に、捕手の福田の腕に打者のスイングが当たってしまい打撃妨害をとられてしまいます。(わざとバットを当てたように見える)もちろん新チーム後から捕手をやってる福田がスプリットを取るとき前に出る癖も要因ですが、ひどいプレーだなと当時は思った感じがします。聖光は、リリーフで登板した村田を捉え、何とか勝利を収めました。

 2回戦金沢と対戦します。釜田投手、150キロのストレートとスプリットで前半は、抑え込まれますが、後半は、聖光打線は、捉えていた印象。やはり、6回の名手斉藤侑樹のエラーから流れ悪くなり、金沢の1番桜吉にタイムリー、8回にも桜吉にタイムリー。彼が ラッキーボーイになってしまった。芳賀がファンブルしてランナー帰ってきてしまった当たりもあったし、遠藤雅は、この試合も力んでいたし、釜田相手に善戦したけど及ばなかった印象かな。

秋は、岡野が主戦で、準優勝。選抜にも出場。この時惜しかったのが学法福島3回戦で、花巻東に逆転負け。花巻東は、選抜出場するのですから、学法福島の150キロ投手谷地がいて、一番強かった時代ですので、この年は、チャンスだったと思います。その花巻東は、選抜では、大谷が先発しますが、怪我開けということもあり、大阪桐蔭打線につかまってしまいます。大阪桐蔭は、決勝で、光星学院と対戦。これ以後この2チームの決勝のカードが続きます。

選抜の聖光は、1回戦鳥羽を岡野が完封し、2回戦横浜に7失点。横浜戦は、失策や走塁ミスが目立った印象だったけど、この試合は、もしかすると生で見てないかもしれないな。

こんな感じで少し開いて聖光の歴史⑤にいきます。