聖光の歴史①

お久しぶりです。ハードディスクのデータが破損したりして、遅くなりました。今回は、聖光学院が甲子園初出場を果たしてからのことを自分なりにまとめていきたいと思います。聖光の初出場は2001年でした。この時の地方大会の日大東北の決勝戦11回4点差から、逆転勝ち。日大東北は、打たれても宗像投手を変えず、続投させたことについては、批判がありました。日大東北は、その後2年連続で甲子園に出場しますが、それ以来甲子園から遠ざかっています。その翌年に現日大東北監督の中村猛安氏がコーチとして就任します。その後のことは後ほど述べたいと思います。

 もちろん聖光学院は、大分の明豊と対戦します。結果は、大敗でした。聖光が再び甲子園に帰ってくるのは、本間裕之を擁した2004年になります。本間裕之は、制球力とカーブが特徴な投手でした。後に彼は、野村監督に投球を称賛され、シダックスに所属することになります。1回戦から登場しました。この夏の大会が今まで一番組み合わせに恵まれた大会だったと思います。3回戦の6回のリードした為、本間をいったん下げて守備につかせました。交代した投手が、ストライクが入らず苦しくなってしまい、再度本間が登板しました。あの交代がなければ、逃げ切れたのではないかという批判が当時はされました。これを機に、聖光は、一人のエースがマウンドを守るケースが長年続きました。

 翌年2005年は、チーム事情で、前年度の主軸であった舟田が急遽投手を務めました。2回戦で、桐光学園の山室→石渡の継投で交わされました。山室は、青学に進み、後に学石の外部コーチを務めたはずです。舟田が打者としては活躍できず、4番山形出身者だった河野がノーヒットに抑えられたことが原因かと思います。

 聖光が次に出てくるのは、2007年なおこの年は、選抜にも出場します。鈴木健太が主戦で登板しました。残念ながら1回戦で敗退でした。夏に、1回戦で、岩国と対戦します。鈴木健太の制球がバラバラで何とか何とか勝ったという試合でした。NHKの放送で何だこのボールはと言われるほどの荒れ荒れでした。次の試合から早い回から鈴木健太ブルペンで投げて調整して後半リリーフで出てくる展開になりました。2回戦では、渡辺侑也のレフト方向ぎりぎりの本塁打で逃げ切り勝ちでした。左の佐藤竜が、遅いボールを駆使して投げ分け、鈴木健太が最後締める展開でした。青森山田の投手の失投はあの投球だけだったと思うので、青森山田にとっては、悔やまれる展開になりました。3回戦は、後にプロになる本格派の野村投手でした。わずか3安打実力の違いを見せつけられた感じでした。後に角界入りする森宗投手もこの試合で登板しました。個人的には、後に早大に進学しますが、渡辺侑也、黒羽、佐藤竜の世代がほぼ県内組だったので好きなチームです。2008年からは、②で書きます。