聖光の歴史③

引き続き書いていきます。先日福島県高校野球に大きな発表がありました。なんと前仙台育英監督の佐々木順一朗氏が学法石川(略して学石)の監督に就任されました。驚きではあるし、学石の法人が本気を出したということなのでしょう。ただ、仙台育英は、秀光中等学校にも野球部があり、最近は、特にそこからの内部進学者が高校時代主力として活躍することが多く、そういうシステムが機能していて始めて、力を発揮しているところもあります。もちろん学石にも、中学はありますが、同じ状況ではなく、甲子園出場まで時間は、ある程度かかると思われます。佐々木さんは、ある意味放任主義らしいので、そこが学石の入ってくる選手とマッチするのかどうかも気になります。聖光のライバル校の可能性になりつつある高校が出来るということは有難いですが、そんなに上手くいくのかなという感じでみてます。

 2010年は、歳内、芳賀、遠藤昌の投手陣でした。秋は、芳賀がエースになるのですが、専大北上に敗れてしまいます。2010年夏上級生の中多の怪我もあって、歳内が主戦に抜擢されます。この時の捕手は、郡山市出身の星でした。彼のアドバイスによって、スプリットを投げたことで、あの当時の活躍になるのですが、この時の捕手が守備では歴代で一番な感じがします。

 夏の甲子園では、2回戦で有原と投手戦になりました。振り逃げで、1点が勝ち越しになりましたが、聖光星のあのスイングの判定は微妙なものでした。この当時の4番広陵の丸子は、ドラフト候補かといわれていましたが、スイングが大きく活躍は出来ませんでした。それだけ歳内のスプリットが落ちたということですね。

 3回戦で、履正社では、歳内は、10三振。のちにプロになる山田哲人には、本塁打を打たれましたが、自分で本塁打も打ったし、監督の息子が逆転本塁打で活躍し、準々決勝進出しました。

準々決勝では、あの興南の島袋投手と対戦しました。聖光は、島袋投手の癖を見つけ、3点を先制しましたが、島袋投手は、すぐに修正し、その後は、得点出来ず。一方の過去最強の春夏連覇をする興南打線は、本気になったのか歳内投手を打ち込みます。歳内投手もピンチで際どいコースをボールと判定されるなど、主審のゾーンが辛かったこともあり、踏ん張りきれなくて、カーブを試投するなどいろいろ試すのですが、芳賀投手に交代しました。聖光は、この時が最強だったと思います。クジ運の悪さはこの時もです。この世代は、日替わりヒーローが出ていた感じですね。この試合に負けてしまいベスト8で今回も壁を破れずでした。

この後歳内は、国体等で無理することになります。秋は、怪我を抱えていたこともあり、準々決勝で、終盤に仙台育英に逆転本塁打を打たれて敗退になってしまいました。

その後あの震災がおきてしまいます。長くなってしまいましたので、その後は、次の記事で書きたいと思います。